高校時代の恩師 小林晴雄さん(「ぼくの好きな先生」のモデル)
「今までよく頑張ったから、ゆっくり休んでほしい」
遺体と対面した小林さんは「おだやかで素に近いような笑顔でした」。
今年2月に入院中に見舞ったときは「本人もだいぶ良くなってきたと言ってたんですが」という。
高校時代の清志郎さんについては「そんなに特別な生徒じゃなかった。
問題行動もなかった。ただ出席状況は良くなかったので単位はギリギリ。
夜の仕事も始まっていたので、よく昼まで寝てましたなんて言ってたな」。
「今までよく頑張ったから、ゆっくり休んでほしい」
と柔和な表情で清志郎さんの思い出を語る小林晴雄さん
72年に「ぼくの好きな先生」を発売したときには、レコードを持ってきて
「こんなこと歌にして迷惑じゃなかったですか」と恐縮していたという。
「優しい子でしたね」と自慢の教え子の死を惜しんでいた。
歌手の泉谷しげるさん「告別もしない」
「アイツの死は絶対に受け入れない。
通夜も行かない。告別もしない。冥福も祈らない」
「訃報は信じ難い、というより信じてません」
「尊敬に値する師匠。天才。永遠に追い越せない存在」
「死んだと思いたくない。通夜も行かないし、告別もしない。連れて帰ります。
そっち行ってんじゃねえ、コノヤロー!」
「あいつは天才。あいつが後押ししてくれて、今のオレがいる。
まだ恩返しもしていないのに、先に逝きやがって」
数日前から忌野さんの容体が悪化したことは聞いており
「(吉田)拓郎も含めて、具合悪くて何やってんだ」葬儀には参列しないが、後日「会いに行きます」
「棺おけから引っ張り出してでも(音楽を)やらせますよ」と、
最後まで涙を流すことはなかった。
三浦友和さん「あこがれのミュージシャン」
3日、コメントを発表し、友人の死を悼んだ。
「彼は高校の同級生でありながら、当時から尊敬し、またあこがれのミュージシャンでありました。その思いは今でも変わりません。残念です。冥福を祈るばかりです」
俳優の竹中直人(53)さん
報道陣の問いかけに、ハンカチで涙をぬぐい「無理です。すいません…」
寛平ちゃん
間寛平(59)さん
「一日走りながら涙が止まりませんでした」
地球1周アースマラソンで米国を横断中のタレント、間寛平(59)さん
「清志郎さんは、アースマラソンの応援歌として「走れ何処までも」
「RUN寛平RUN」を書き下ろしてくれた友人。
昨日、カンザス州に入ったところで、嫁からの電話で清志郎さんの訃報を聞きました。
その後、一日走りながら涙が止まりませんでした」
坂崎幸之助(55)さん
「とても大切な人を、2人同時に亡くしてしまった」
実は自身の父、幸太郎さん(享年85)も2日午後10時ごろ、がんのため都内の病院で死去。
仙台での公演中に連絡を受け、終演後に最終の東北新幹線で帰京したという。
「残念ながら、僕の到着を待たずに父親は逝ってしまいました。
その直後、携帯メールに清志郎さんの訃報が飛び込んできた。
とても大切な人を、2人同時に亡くしてしまった。生涯忘れられない日になりました」
和田アキ子さん「スローバラードが一番好き」
亡くなった忌野清志郎さんの代表曲「スローバラード」「雨あがりの夜空に」を
カバーしたことのある歌手・和田アキ子(59)さん
「ずっと昔にご一緒に仕事させていただいた。本当にロックでした。
ご冥福をお祈りします。残念…」
「忌野さんの曲の中でスローバラードが一番好き。この曲を聴いていると涙が出てくる」
武田鉄矢(60)さん
「あの世でジョイントライブ」
忌野清志郎さん(享年58)の訃報(ふほう)に「ガクッときたね」
自分とは対照的に「都会派の圧倒的存在感。楽屋にはいつもかわいい女の子がいっぱいた」
「あの世でジョイントライブをやりましょう。彼がブルースを歌うなら、僕はバラードを歌います」
矢野顕子さん「心の美しさが歌に表れている人でした。永遠に友達です」
仲井戸(チャボ)麗市さん(58)は、表情を硬くしたまま、
コメントすることなく足早に斎場を去った。
坂本教授、涙